誰にも言えないこと。
2019-05-26T07:12:30+09:00
yy_cattery
冬眠中(ρ_‐)。oOzZZ
Excite Blog
令和とともに
http://yycattery.exblog.jp/28338636/
2019-05-26T07:09:00+09:00
2019-05-26T07:12:30+09:00
2019-05-26T07:12:30+09:00
yy_cattery
未分類
けど何をどぉしていいやら…
いいかげん
冬眠から覚めて
ここも何とかしなきゃ•*¨*•.¸¸♬︎
by necomal
]]>
生きてます(*^-^*)
http://yycattery.exblog.jp/22620394/
2014-12-03T16:29:58+09:00
2016-10-09T19:27:25+09:00
2014-12-03T16:30:13+09:00
yy_cattery
病気のこと
年女の今年もあとわずか…
あれから10年。
11回目の誕生日を迎えることが出来ました。
いろいろな出会いあり、
昨年から統合医療に切り替えて
もうすぐ1年が経ちます。
そして先月の検診で、ついにマーカー値が
基準値内になりました。
おかげさまで生きてます。
生かされてると言うべきかな。
今日、箱根までお墓参りに行き
父にも報告してきました。
by necomal
]]>
こっそり、、、
http://yycattery.exblog.jp/14797842/
2011-05-18T11:39:44+09:00
2016-10-09T19:37:55+09:00
2011-05-18T11:39:45+09:00
yy_cattery
ひとりごと
前回のうpから早くも1年が経とうとしています。
そして前回の記事を読んでびっくり。
「ゆうべ遅くにこちらは予報どおり雷雨となりました。」
まさに、昨日も雷雨でした。
hei♂の毛玉狩りは出来ませんでしたがw
そして、今日はpal♀の誕生日です。
元気だったら今日で14歳でした。
今もお墓参りには行っていて、本当なら今日も夫が休みで行く予定でいたのですが
夫の休みが明日になってしまいました。
なのでお墓参りも明日に変更となりました。
そして、
今日こちらに書く気になったのはまた訃報が入ったからです。
児玉清さん、、、
心よりご冥福をお祈りいたします。
本当に残念でなりません。
ツイッタでも粒焼いているのですが、ココにも残しておきたくて
あちらで繋がってる方には重複になりますが
どうぞお付き合いください。
by necomal
こちらでは全然記していないのですが、
実は今、ようやく納得のいく(えらそうですが)お医者さまと
昨年秋に出会うことが出来、週1ペースで通院しています。
こちらのblogを書かなくなった理由のひとつに
じつは「再発」と言う事実がありました。
自分の選択を信じてこちらでも西洋医学に頼らずやっていくのだ!
というような記事を残していたにも関わらず、たった2年で再発していました。
ちょうど父が再発し入院した暮れの、あの頃でした。
当初、夫の願いもあって一度は手術をして癌を全て取り
予後治療の放射線治療も行うつもりでいましたが、
そんな矢先、父が危篤状態に入りました。
それを理由に私は手術の延期を(本当は中止のつもりで)願い出たのです。
今思えば、父に全て導かれていたように思います。
その間に関してはまたゆっくり(と言ってなかなか書かないでしょ!と言われそうですが^^;)
時間を取って書くことにして。。
父が亡くなり、3周期を迎える年の、そうちょうど1年前まで
東洋医学的なこと以外、何も治療を受けずにいました。
しかし、私の左胸では癌ちゃんは育ち続け、何とかしなければと思いながら
昨年の今頃ついに「花が咲いてしまった」のです。
これは最初に通っていた共済病院の主治医に最後に言われた言葉です。
いつか破裂して大出血になる、それをそう呼んでいると言っておられました。
それがついにやってきて、
これは何とかしないと!とついに私も重い腰をあげたのでした。
当初、誰にも(夫にも親にも)話せずにいたのですが
そしてこれに関しては本当にお世話になった方々もいて
言葉では表せないほどの感謝とお礼をこちらにも記しておきたいと思います。
その節は本当にありがとうございました。
その頃出逢った方とはまたちょっと距離をおいている状態ですが、
じつはそれとは別に再発後通い始めた「氣功」を通して、
そちらで知り合うことが出来たお医者様のところに昨年10月から通っています。
この出逢いも素晴らしいタイミングで、本当にこの世に起こる全てのことが
偶然ではないのだな~というような出来事でした。
そしてそれも全て父が私を見守ってくれているからなのだ、と思わざるをえません。
児玉清さん、
ちょっぴり父に似ていました。
たぶん、歳も同い年。
芸能界きっての読書家。
私の好きな本の文庫本の解説にもよく登場されていて、
へ~、こんな本(「阪急電車」/有川浩)も読むんだ。
なんて好みが一緒だったりするとほんとに嬉しかった。
私がツイッタで焼いた粒が楽天booksで帯になった本(「永遠の0」/百田尚樹)も
書店で並ぶ方の帯は児玉さんだったこともあって勝手に親しみを感じていました。。
つい最近読み終わった本(「繋がる明日」/真保裕一)の解説も児玉さんでした。
昨日から読み始めた本(「鹿男あをによし」/万城目学)のドラマにも出演されていました。
だから昨日の通院の行き帰りはずっと役を思い浮かべながら
児玉さん(リチャード)を思い出しながら読んでいました。
それだけに、突然の訃報、、
なぜ?残念、という想いばかりで仕方ないのです。。
本当に大切な方を、惜しい方を失くしました。
ただ偶然にも(ではないのでしょうが)
昨日一日児玉さんを感じることが出来たこと、本当によかったと思います。
ご本人の本を今年1月に亡くなった伯父の部屋を片付けに行ったとき見つけて
大半の本はbookoffさんに持っていってもらったのですが
児玉さんの本は私が貰ってあります。
まだ児玉さんがお休みに入る前だったのに、、ここでもご縁を感じてしまいます。
母が先に読んでいたのですが、次はそれを読みたいと思っています。
児玉さん、娘さんを先に亡くし
またご自身も同じ病気で亡くなるとはどれだけ無念だったことでしょう。
抗がん剤治療は体力がもたず、1度きりでやめてしまったと聞きました。
今はまだ認められずにいる私が受けている治療が、どうかがん治療の主流となり
癌で死ななくても済む時代に早くなって欲しいと切に願います。
そのためにも一日でも早く私が治って、
私のしてきたことをお知らせできる日がくることを強く心に誓います。
今はまだ厚生省やらいろいろな問題があって
私の通っている病院等の記述を公にすることができません。
院長やそちらで働く方に迷惑がかかるといけないので、、、
スーちゃんといい、どうか私と同じ病気で苦しむ方が少しでも減りますように。。
]]>
どぉしているかな?
http://yycattery.exblog.jp/12755339/
2010-06-05T14:40:46+09:00
2016-10-09T20:15:53+09:00
2010-06-05T14:40:47+09:00
yy_cattery
ひとりごと
あれから何度の「満月」が過ぎたでしょうか。。
ゆうべも久しぶりにupしてみようかと
こちらに来てみましたが、palの写真と記事を読み返していたら
涙が止まらなくなってしまい、、、
といって、今日はどうしても
こちらをupしてみたくなったので
立ち上げてすぐに投稿ボタンをポチッ!
ゆうべ遅くにこちらは予報どおり雷雨となりました。
カミナリといえば、、、
heiのダイキライナモノw
チャンスです♪
1年の中でいちばんおとなしい時♪♪
まだまだ途中だけれど、
サマーカット!出来るとこまで、やったりました!!(笑)
そんな残毛(?)で作ってみたw
以前、こちらで仲良くしてもらってたブロガーさんが
そちらのニャンコちゃんの抜け毛で作っていたのを思い出し
真似して作ってみました。。
今でもそちらのblogがupされないと知りつつ
懐かしくなると覗いてしまいます。
私も気まぐれなup率で、書く書く詐欺と言われそうですが、、
連絡取れないのは、寂しいです。
そーゆー方、何人かいます。
相変わらず、twitterに嵌っていて、お友達も増えたけど
たまにこちらも懐かしく想い出にひたってしまいます。
どぉしているかな?
あの人、あのコ(猫)、、、
by necomal
色々なことが起こっているようです。
他人事のようであり、自分のことに
ついに向き合わなければいけない時が
やってきました。
昨夜も「誰にも言えないこと。」があり
あぁ、ここで書けばいいのか、と思ったり、、、
でも、着実に色々なことが動き出しています。
この半年の間に起こったことは
私の人生に無駄なことなどひとつもなく、
そして、まさに導かれてここまでやってきたのだな、
ということばかりでした。
ゆっくり出来るときにまた書きます。
書こうとしたところで、夫から帰るメールが!
今日はまだ書くなと言ってるようで、、、
こういうメッセージにも逆らわないようにしています(笑)
ではまた、、、
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利他の心。
http://yycattery.exblog.jp/11286770/
2009-10-04T22:30:00+09:00
2016-10-09T20:04:39+09:00
2009-10-04T22:30:51+09:00
yy_cattery
スピリチュアルなこと
前回ふと思いついて書いた日記が
今日に繋がるとは思いもしませんでした。
今日はまた、不思議なご縁で素敵な会に参加させていただきました。
前回の日記に出てくる、職場のhちゃん、彼女は今や元同僚となってしまったけれど
彼女が紹介してくれた(これまた前回の日記に出てくるお方)kさん。
この方のお導きにより、今日の素敵な出会いとなりました。。
世の中には言葉では説明できない、
そして目には見えない不思議なことがたくさんあります。
私はこれまでにも病気を通じて、いろいろな方と出会い、
たくさんの体験をさせていただきました。
そして今日もNPO法人利他の会主催によるチャリティー・コンサート。。
kさんからご連絡を頂いたのは今年の春頃でした。
kさんはこの会の会員さんで、今回の講演会『愛と光と癒しのハーモニー』の
スタッフさんということでした。
そして病気と向き合って生きている私に、ぜひこの会で講演される
寺山心一翁先生のお話を聞かせたい。
とのことで、連絡をくださったのでした。
寺山先生とは以前参加した会でもお目に(?)かかっていて
お名前を存じ上げてはいましたが、まさかまたお会いして
お話を聞けるとは思いも寄らず、、、
しかし、『ちゃんと繋がっているのだな~。。』と、
またまた思い知らされたという気持ちでいっぱいになりました。
最後に、先生の本を購入しサインを頂いたのですが、
(以前から欲しかったのに、買わずにいたのはちゃんと今日までとってあったのかな?)
並んだひとりひとりにお言葉を添えて書いてくださり、私の話も丁寧に聞いてくださって
『私も今まだガンを抱えているんです。』と言うと
満面の笑顔で『良かったじゃな~~い!!』と力強くおっしゃってくださり
このお言葉を頂戴いたしました。
一緒に行った母まで割り込んで話をし、握手までしてもらい(笑)
たくさんの愛とパワーを頂いて帰ってきました。
その帰り道、ばったり高校の同級生に遭遇!
なんてタイミング。。
その子とは今週の土曜日に会う約束になっていたのに、
これはきっと偶然なんかじゃない!!
実は彼女も病気を抱えていて、つい最近まで入院していました。
その退院祝いを兼ねて会う約束をしていたのですが、
会うなり、『元気そうで良かった。』と私の身体を心配して抱きついてくれました。
だから私も人目を憚りもせず、『あたし今すごいパワーupしてきたとこだから、おすそわけ♪』
と言ってハグしてしまいました。。
このタイミングで会ったのは、彼女が私を必要としてくれたんじゃないかと思ったから、、、
これがまさに『利他の心』?
いや、私も、彼女を必要としていたのかもしれない。。
土曜日、会ったときに彼女の顔色が少しでも良くなっていることを信じて、、
いまからとても楽しみです^^
そしてこの会、寺山先生は第2部に出演され、じつは第1部がありました。
そちらもとても素敵な講演でした。
そのおふたりの方のご紹介も少しだけ、、、
おひとりは、SMAPキムタクのお母さま、木村まさこサン。
とても優しい、心に沁みこんでくるような素敵な声で子守唄と詩を朗読してくださいました。
リストランテ「いな田」のオーナーとしてもご活躍されていらっしゃいます。
このイタリアンレストランが、なんと実家の近く♪ぜひ行ってみようと母とも話しています。
そしてもうひとりは秋山峰男先生。。
スピリチュアル絵画(曼荼羅アート)をその場で描いてくださいました。
とてもピュアな心をお持ちの方で、kさんは『天使♡』と言っていました(笑)
その絵をケータイで撮らせていただいたので、
たくさんの感謝の気持ちと、愛をこめてみなさまにもおすそわけ。。。
どうぞみなさまもよろしかったらお持ち帰りくださいましね^^
そして今日は満月。
みなさまにも素敵な出来事がありますように、、、
心よりお祈り申し上げますm(_ _)m
by necomal
『他を思いやる』というお釈迦様の教えだそうです。
反対語は「利己主義」の『利己』。
なるほど、、、
帰ってから調べてみたら、こちらの説明が
とてもわかりやすかったので、追記しておきます。。。]]>
物事をありのままに受け止める。。。
http://yycattery.exblog.jp/9229289/
2008-12-17T22:05:00+09:00
2016-10-09T17:11:29+09:00
2008-12-17T21:52:18+09:00
yy_cattery
ひとりごと
只今、凹みモード中。
自分がよかれと思ってしたことも
他人を傷つけていることがある。。
私は、ひさしぶりにやってしまった。
たぶん、友達をひとり失くした、、、と思う。
今日はそのことで仕事中も頭がいっぱいだった。
きっと彼女を傷つけた。
そして、それを彼女に言われるまで気づかずにいた自分が情けない。
今まで他人との付き合いは、とりあえず無難にこなしてきたと思う。
そのぶん、ひさしぶりのこんな思いに、いい年して、かなり凹んでます。。
こんなヘマをやっちゃうなんて、、、凹凹凹
といって、
じゃあ何とかしようとか思わない冷たい人間でもある。
いや、彼女だからかな。
彼女とは、そーゆー間柄だったのだ。とか思っちゃったりする。
いつか、また飲みに行ったりすることが、(今は考えられないけど)あったとして、、
今は、離れていたほうがいいような気がする。
こーゆーところが
だんなに「あんたは冷たい!」って言われる所以なんだろな、、、
by necomal
この本を読んで、
少し心が救われた。
本日のタイトルもこちらからのウケウリです。
あなたは絶対!運がいい浅見 帆帆子 / 廣済堂出版
勝手に傷つけておいて、勝手な言い分だけど、
この本によると、
『自分にふさわしいよいことが起こったり、自分に気付かせるために必要だから
悪いことが起こったりするのです。』
自分のレベルが下がっていると
よくないことが起こる。まさにその通りである。。
レベルを上げようとよいことを心がければ、悪いことは起こらない。。
最近、仕事でイヤなことがあって、文句ばかり言っていた。
嫌な人の愚痴なんかも、平気で口にしたり、
イライラしてばかりで自分でもイヤになってた。。
それが全部、自分に返ってきたのだ。
引き受け氣功の『タライの法則』と一緒である。
私が傷つけた彼女が鬼の面をつけて気付かせてくれたのだ。
感謝しなくては、、、
そして、ほんとに、ごめんね。。
先週土曜日の氣功でも先生が言っていた。
『考えちゃだめ、アホにならなきゃ!!』
そうしよう!
もう、何にも考えないことにしよう!!
そして明日からは、
あなたは絶対!守られている浅見 帆帆子 / 廣済堂出版
こちらを読み始めます。
またこちらでご紹介できたら、、、
と思います。。
はぁ、、、、、
あたしってバカ。。。
]]>
七七日。
http://yycattery.exblog.jp/8853697/
2008-10-29T22:14:00+09:00
2015-01-26T00:08:58+09:00
2008-10-29T22:15:24+09:00
yy_cattery
未分類
この間の日曜日、
箱根『早雲寺』にて、父の四十九日の法要と納骨を
なんとか無事に済ませてまいりました。
横浜の家を出るときには一瞬パラついた雨も
お寺に着く頃には陽が射すほどに、、、
ご住職のお経が終わり、いざお墓にみんなで向かい
納骨が済んで、みんながお線香をあげてくれている間も
お墓には暖かい陽があたって、真新しい墓石がさらに光って見えました。。
斜め後ろには大きな、立派なマキの木が立っていて、
ひとりきりの父を見守ってくれているようです。
あぁ、そうだ!
マキの木の奥のほうには、母のおじいちゃんもおばあちゃんもいるもの。
さみしくないよね。
父は四男でしたので、自分で墓地を用意したのですが
たまたま母方のお寺さんと宗派が一緒だったため、
祖母(このblogの第一回に登場する私と60歳違いのおばあちゃん)の計らいにより
こちらの墓地を分けていただけることになり、そのときは本当に喜んでいました。
とうとう、一番乗りで入っちゃったんだね。
この日に間に合わせていただいた石屋さんにも感謝です。
本当にいろいろな方たちのおかげで
父もようやく落ち着くことが出来ました。
あっという間の七週間でした。
それでも(それだから?)、まだすべてを書くには早い、、、
というより、まだその余裕が(心にも時間にも)ないのです。
もう少し落ち着いたら、ゆっくりとこちらで書きたいと思います。
本当にこの2年弱の間、
駆け足で不思議な体験をたくさんしてきました。
そして、それはほんとは2年ではなく、父の病気が発覚した7年前から
すべて繋がっていたのだな~と、今回しみじみ感じました。
父がすべてここまで導いてくれた。
そして、私はそのことを忘れずに誰かに伝えていかなければ、、、
ココのタイトルも
『誰にも言えないこと。』から
『誰かに伝えたいこと。』に変えなくてはいけないかもしれません(笑)。
そう、そんな風に密かに考えている毎日です。
新しいことと、今までのこと、そのおさらい、、
やらなければならないことがたっくさん、あります。
悲しんでばかりいられません。
きっと、父もそんな私を見て喜んでいるはず、、、
身軽になろうと、久しぶりに髪もショートにしました。
そして、
すべては、そういう風になっているのですね。。
(投げやりなのではありませんよ^^)
by necomal
昨年、『南アルプス天然水』の500mlペットにおまけでついていて
ダンナが種から育てた『カワラナデシコ』が、今年は5月の終わり頃から
次から次へと見事に咲きました。。
そしてコレ↓が10月のはじめに撮った、今年最後のナデシコちゃん・・・
最後は、やや色が薄めでしたが、、、^^;
お花たちも生きている。。
そして、私たちを楽しませてくれる♡
生きていることに、感謝です。。。
ダンナはすっかりその気になり、
今では毎週、用がなくても買い物しなくても
週に一度は、近くのホームセンタに通う日々(笑)。
ベランダにはいろんなお花や緑たちが増えて
すっかり園芸じじぃになってしまいました♪
「じじぃって言うなーーーーっ!!」
て声が聞こえてきそう(爆)
]]>
続・ チチ ノ コト ・・・。
http://yycattery.exblog.jp/8595415/
2008-09-10T21:38:00+09:00
2016-10-09T17:11:29+09:00
2008-09-10T21:39:29+09:00
yy_cattery
ひとりごと
あれから1年近くが経とうとしている。
仕事中に兄からの電話で呼び出されたのは先月、お盆の初日と今日で2度目。。
一昨日から血圧が測れないほど、下がってしまっている。
先月から約ひと月の間、、、
私たち家族が覚悟できる時間を与えてくれた。
もう、じゅうぶんだよ。無理しなくていいよ。
いよいよ、
という気がする。
『命には限りがある。』のだ、、、
父の発病から、私自身の病気、父の再発、、そして、、、
その間に得たもの、知り合うことが出来た人たち、
すべてのモノ、コト、に感謝しています。
そして何より、そこへ導いてくれた父へ、
本当にありがとう。
by necomal
やっぱり、涙が止まらず、、、
最近聴いては泣いてしまう曲、3曲♪
いつか忘れてしまう日がくるだろうか、、、
その日のために書いておこう。
しるし
Mr.Children / / トイズファクトリー
アイのうた
福井舞 / / エイベックス・マーケティング
秘密
aiko / / PONYCANYON INC.(PC)(M)
aiko はアルバム『秘密』の中から、
最後の1曲、『約束』を。。
~どんな事があっても忘れたりしない
幸せも痛みも永遠の約束
いつかまた会える日が来るでしょう
その日まで必ず元気でいてね 元気でいてね~
おとう、来世も<家族>で会おうね。。。
いっぱい、いっぱい、ありがとう。
『悲しまない・・・。』
神様からの3つめのアドバイス。
私、約束したから、大丈夫だよ。
]]>
チチ ノ コト ・・・。
http://yycattery.exblog.jp/6514413/
2007-09-24T19:49:00+09:00
2015-01-26T00:08:58+09:00
2007-09-24T19:49:52+09:00
yy_cattery
未分類
あれ~??
気がついたらまたまた前回の日記から2ヶ月以上も経っちゃった。。
月日の経つのは早いもので、、、(笑)
実家の父が入院して今日でちょうど10ヶ月になりました。。
以前、私の病気のことを書いたときに父のことも少しだけ書いたように思いますが、、
父の病気は、脳が原発の原因不明の『悪性リンパ腫』であり、
ふつう、『悪性リンパ腫』という病気は他の臓器から脳に転移すると考えられているらしく
今から約6年前に告知されたときには、それは念入りにあっちこっちの内臓を
検査した、、、らしい。。
そして、手術をし、治療をして約5年の間、父はほぼ普通の生活を続けていました。
昨年、ヘルペス(帯状疱疹)で急遽入院することになるまでは、、、
けれど、そのときにはすでに再発をしていたのだ。。
5年もの間、手術を受けた病院で3ヶ月に一度CTを受けていながらわからず、
その入院(ヘルペス)のまえに、なんだかおかしいと本人も言うし、で
治療を受けた病院でMRIを受けることになっていたが、体力が落ちていたのだろう。
先にヘルペスに罹った。そして、行きつけの皮膚科から紹介を受けて
その検査を受ける病院へ急遽、入院することになったのだった。
その頃はまだ、普通に会話が出来ていた。
そして、一度退院して再度検査に訪れたその病院のMRIの結果は
脳に3箇所の再発だった。
CTでは発見できなかったMRIの結果である。
その結果をいつもの脳外科の主治医に報告すると
「さすがですね!」と言ったそうだ、、、
まぁ、それはさておき、父は前回の放射線治療で全脳照射を受けているため
今回はガンマ治療のみになる。
それは何度でも受けられるのだそうだ。医師がそう言ったらしい。。
が、ほんとのところ、再発のたびに何度も受ける人がいるのかは疑問だ。。
なぜなら、父は二度とその治療を受けることはないであろうと思われるからだ。
あの治療を受ける前の日、父は母に「やっぱりやめておこうかな。」と
ボソッとひと言だけ言ったらしい。
その後、終わったあとで「そんなこと言ったっけ?」と言ってたらしいが、
たぶん、もうそんなことも考えられる力さえ、残っていなかったのかもしれない。。
そして、
昨年暮れ、師走に入ろうかという11月の終わり。
奇しくもその日は私が手術を受けたあの日から、まる2年が経った日だった。
夜中に救急で、、正確に言うと、兄からケータイに連絡が入ったのは0:28だったから
すでに翌日になっていたけれど、、、
兄は実家から車で5分かからないところに住んでいて
私はJRと地下鉄を乗り継いで1時間のところに居るため、
ひとまず、連絡を待って!とのこと。そして眠れないままただ電話を待ち
次に連絡が入ったのは午前2時半すぎ。
とりあえず入院して今は落ち着いてるから、とのこと。
私は翌日になってから駆けつけ(?)た。
そのとき父は眠っていて、先生の話ではいろいろと検査の為しばらく入院を、、とのこと。
さらに翌日、だんなと病院に行くと、
父は起きていて、けれど声に力が無く、話すのもやっとで、、
けれどこちらの言うことはわかっているらしい。
「お水が飲みたい。」と言うので、病院の売店で水差しとお水を買って
病室に戻るとお水をよく飲んだ。そして「明日は何日だったっけ?」と聞くので
「明日は27日だよ。月曜日だよ。。」というと
しきりに指を折って、何かを数えている様子。。「なぁに?何かあるの??」と聞くと
「・・・・・。」何かしきりに話すのだけど、言葉にならず、こちらも聞き取れず、、、
そして、それが父と私の最後の会話らしい会話となりました。。。
あれから、もう10ヶ月になるんだ。
あのときは、年を越せるなんて誰もが思いもしなかった。
年賀状、毎年私が担当しているんだけれども、「どーしようか。。」って
ギリギリまで悩んでたもの。。。
そして兄は1月に仕事仲間の結婚式のため、ハワイに行くことになっていたのですが
前日になって急遽とりやめにした。
2月、誰もが父の誕生日を迎えられるとは思いもしていなかった。
けれど、点滴やら何やらのチューブでスパゲティ状態のあの日々を乗り越え、
3月(だったと思う)、ようやく胃ろうという直接おなかに穴を開け、
食べ物(といっても流動食ですが)を体内に送ることが出来るようになり、
ちょっとではあるが希望のようなものを抱き始めた頃
病院側から、「(父のような場合)もう治療法がないので転院を。。」と
勧められたのだ。
詳しく書くには時間が無いので、かなりはしょっていますが
4月になってそちらの病院は『急性期病院』に体制が変わったので
父のような、もう治療法が無く、治る見込みの無い患者さんは
よそへ移ってもらうしかないということらしい。
今の、厚生労働省の考えはそういうことなんだそうだ。
まぁ、いろいろと言いたいことはありますが、ここではやめておきます。
ところが、微熱が続いた状態で病人を動かすのは危険ということになり
ずるずると、父の日まで迎えることとなり、
(じつは、細木〇子の本によると、私の運勢で5月は「大切な人との別れ」と
あったので、誰にも言ってなかったけれども内心ビクビクしてたのです^^;
当たらないね、アレ!それよりも、うちの父の生命力のが強かったのか、、笑)
そうして転院先の病院との面談も済ませ、晴れて7月12日(木)に
新しい病院へと移ることが出来ました。
その後の父は、たまに熱を出すこともありますが
前の病院とは比べものにならないほど、心優しい看護(母曰く)を受け
とても安らかな日々を過ごしています。
この10ヶ月の間、心無い訪問者のせいで
母がたった一日だけ、お見舞いに行けなかった翌日に
これまで落ち着いていたはずの父が高熱を出すというハプニング以外は、、、。
母はショックだったようだけれど、何だか母が来なかっただけで
熱を出しちゃう父が子供のように思えて、可笑しくなりました。。
父がこれだけ頑張っているのには
必ず何か意味があるように思えてならないのです。。
そして、私はそれが何であるのか、日々模索中なのです。
ネットも本もたくさん調べて、ちょっと疲れて気が抜けてたりしたけど
やっぱり、父が私に伝えたいことが何であるのか、、
涼しくなってきたことだし、また少しずつ動き出そうと思っている
今日この頃、、、
もう一度、せめて母とだけでも会話することができないものかしらん、、、なんてね。
私のことについては、また今度。。。
by necomal
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憂欝な日々・・・
http://yycattery.exblog.jp/4278696/
2006-10-07T11:14:55+09:00
2016-10-09T19:51:29+09:00
2006-10-07T11:14:55+09:00
yy_cattery
未分類
はじめてケータイから投稿してみます。
今、4ヵ月ぶりくらいで
以前、金曜日に通院していた病院で
血液検査を終えての帰りの電車の中からです。
blogを始めて、はや一年。。
今年の2月あたりから
私の中でふつふつと育ち始めた
得体の知れない(いや、知っているのか?)何かが
最近になって、私が望まない方向へ
転がって行ってしまっているようです。
『誰にも言えないこと。』は
さらに増え続けるのか、、、
こんなときは流されないよう
しかし、あえて逆らわずに
なるようにしかならない、
そう思ってじっとしていよう。。
ジタバタ動くと、どんどん
辛いほうへと落ちて行きそうだから。。
前回、コメントいただいたみなさま方にも
返信しないままで、ほんとに
ほんとに、ごめんなさいm(__)m
遊びに来てくださってる方
ほんとに、ごめんなさいm(__)m
いつか、かならず・・・。
necomal
]]>
金曜の通院 ~番外編~
http://yycattery.exblog.jp/2547534/
2006-01-22T16:36:44+09:00
2016-10-09T20:04:19+09:00
2006-01-22T16:35:21+09:00
yy_cattery
通院日誌
今日はときおり晴れ間もあったので
昨日の雪はあっという間に融けちゃいそうです。
だんなもゆうべはいつもより早く仕事をあがったうえ、
渋滞に巻き込まれることもなく、いつもより早く家に着いて
全然心配するほどじゃなかったみたいです。
私のほうは、昨日の疲れ(やっぱり東京は疲れる。。)を
癒そうと、ボケボケと過ごしてしまい
『通院日誌』は今日になってしまいました。
暮れにお話したように、
今回の治療はいつもと違って、
『福田稔先生』に診てもらえるということで
東京・湯島にある治療院まで行って来ました。
福田先生はこちらの治療院の顧問をされています。
漢方薬局のときのように
方向音痴にならないよう、しっかり地図で位置も確認し
電車の乗り換えもばっちり...。で出かけたはずなのに
その乗換えで間違えそうになりました。危うく山手線に乗っちゃうとこだった(汗)
電車を降りてからは大丈夫でしたが、思ったより道が狭くて
ほんとにこっちでいいのかな~と思うたびに地図を確認したので
今回は迷うことなく辿り着けました。
治療内容は、
かなりハード(?)ヘヴィー(??)&ちょっぴりホラー(???)あり(笑)
しかも、かなり長くなってしまいました。
このあとは興味のある方、
「『自律神経免疫療法』ってどんな?」などと
知りたいなと思う方だけ
読んでみてやってくださいまし。。
私としては、ちょっぴり恥ずかしいのもありなのですが・・・。
思ったより綺麗な(?)ビルの1階。
治療院の中も、まだ新しいのかとてもキレイ。
受付に見覚えのある女の子の顔。
あ、私が通うクリニックの受付の方のお嬢さんだ。
知ってる顔があって、ホッ!スリッパに履き替えてソファに座ると
お母さんのほうが現れて、いろいろと説明してくれた。
着替えるように言われ、ピンク色のなんとも奇妙な服を渡された。
前が、上がボタン2つくらいでお腹から下がマジックテープで
3箇所ほど止められるようになっていて、後ろは全部チャックである。
両肩にもボタンがついている。(ちなみに、下着は上下つけててOKでした。)
こりゃ、ただ事では済まないな。。
などと考えながら支度を済ませ、また待合室へ。
ソファに座っていると私の前にひとり患者さんがいて、
中の話し声が聞こえてくる。
私をふだん診てくれている鍼灸の先生が、福田先生のことを
「面白いおじぃさんですよ。」と言っていたが
なるほど、笑い声なども聞こえてくる。
すると、またソファに座って待っている私のところに
気を遣って、受付のお母さんのほうが「寒くない?」と来てくれた。
そのうち、娘さんのほうも来てくれて、中の様子を報告。
「なんか、痛いみたいですよ!」と言う。お母さんのほうが「やめなさい!」と言い、
「だって、事前に覚悟出来てた方がいいかなと思って。」と娘さんが言う。
なんだか可笑しくなって、「はい、覚悟しておきます。」と私は笑った。
そして、私の前の(たぶん、私と歳はそう変わらないと思われる)人が
その担当医の方と出てくると「ひーーん。」と泣きそうな顔をしていた。やっぱり?
いよいよ順番になって診察室の前に立って待っていると
もう一度確認のように、受付のお母さんが
「前にも言いましたけど、他の先生方もけっこういらっしゃってますから
その点だけ、よろしくお願いしますね。」と言った。
やっぱり...?そして覚悟して中に入った。
福田先生のお顔はすでに本やVTRなどで知っていたので、どぉということはないが
覚悟していたとはいえ、ちっちゃな診察室にパンパンに人がいる。
福田先生の後ろに私の後ろに、合計10人はくだらなかったと思う。
そして福田先生は私の顔を見るなり
「えー、こんな若い人が乳癌?」と言った。(すみません、童顔なもんで...。)
「で、どぉした?何があった?」と聞き、私がつい躊躇していると
「”いじめ”だな!」(はっ?)「あなたみたいな人はね、いじめられやすいんだよ!」
「そ、そうでしょうか...?」と言うと「そう!私の勘から言うとね!」と言われた。
「勘ですか?」と聞くと「そう!私考えたりしないもん!」と言う。
ひきつりながら「”いじめ”はないと思うんですけど...。」と言うと
「そう?じゃあ、何かな~?どぉなの?○○先生、この患者さん。」と
私の担当の先生に聞いた。そしていつもの鍼灸の先生は
「えっと、我慢強くて頑固!...です!!」出た!ここでも言うか。。仕方ないので
「はい、頑固です。」と私も言った。すると福田先生は
「そうか、我慢強いから頑張り過ぎちゃうんだな。」と言った。
そして、「じゃ、ちょっと診ていこうか。」と言って
私の髪をかきわけ「ちょっと頭見せて。」と言い
「これだ!」と言って、右のこめかみの上辺りを押した。
「ここだね。」と私に向かって言い、「痛いでしょう?」と言う。
「はい、痛いです。」横を向かされ
「やっぱりねー。この人はこういうラインが出てるんだな~。」
と言って、耳に沿って円を描くように首筋、肩と降りて行き
「先生、このライン見える?」とまた担当の先生に聞き、
「これが見えないとダメだよ!」と先生がやられっぱなし。。
頭頂部(?)→左側頭部と見たあと
「じゃ、次は前開けて。どっちかな。」と言うので、「左です。」と開けながら言ったら
「診ればわかるから、言わなくてよろしい。」と言われてしまった(汗)
そして「ゴメンネ。」と言ってサッとブラをずらして左乳房を出し
つ、つかまれた...。げっ、やっぱりね?
「あ、思ったより柔らかいね!硬くないから大丈夫だ!」と言って、右も...。
「でも、こことここにも”ある”ね。右にも出てるな。」と福田先生にだけ見えるものが
”ある”らしく、そこは押されると確かに痛いのだった。
「この人、リンパ球はどうなんだっけ?」といつものクリニックのカルテを見て
「そうでしょー。この部分が見えてないとリンパ球上がらないよ!」と
またまた担当の先生に言うのだった。(かわいそう。。)
そして、”右にある”と言うのも納得!
実は共済病院のエコー検査でも、右にも小さな『のう胞』があると言われていて
これは水が溜まってるみたいなもんだから心配しなくていいと言われているのだが
左のときにもそう言っていて、1年後にこんなことになってしまったので
だんなはヒドく気にしていたっけ...。
そして次に先生と私の間に台(血圧測るときに腕を乗せるようなあの台)を出して
針のついた注射器を片手に「じゃ、始めてこうか。手、のせて!」と言い
手をのせると、私の手をとって「温かいねー。」と言い「足は?」と聞く。
「足もわりと温かいほうです。」と言ってる間に私を油断させておいて(?)
右の親指からブスッと一刺し。。「いーーーっ!」と心の中で叫んでる間に
順番に人差し指から小指まで。終わると今度は左手を順に...。指1本につき一刺し。
ふだんの治療では爪楊枝くらいの大きさの
金針といわれる(注射針のように先が鋭くない)針で
爪の生え際2箇所を、薬指を除いた指4本ずつ刺激する程度。
福田先生の本は読んでいったので、注射針を使うことは知っていたが。。
あふれ出る血を両脇で助手の(ふだんはこちらの治療院の先生だと思われる)方が
すばやく拭きとって、用意された小さな真四角の絆創膏をつぎつぎと貼っていってくれる。
手が終わると次は「はい、じゃ、今度は服脱いで立って!」と言われ、
全身を診たあと、また座って横を向かされ先ほど診た頭部へ。
頭ももちろん同じ注射針でまたブスッと一刺し。。
右側頭部→頭頂部→左側頭部から肩、腕までブスッ、ブスッと何度も刺された。。
頭頂部のときには下を向いていたら自分のお腹に赤いものが...。
気がつくと鼻筋をつたう感覚。そして見学の先生の中から「顔、かお...」と言う声。
助手の方が「ごめんね。お化粧が取れちゃうね。」と言いながら拭いてくれた。
それよりもピンクの服を汚してしまい、私はそっちのほうが気になって仕方なかった。
頭部がひととおり済むと、「じゃ、次は後ろね。服着て後ろ向いて。」と言われ
先ほどの台に手をついて前かがみに立ち、後ろのチャックを外されて
今度は立ったままブラの肩ひもを外し肩→背中をブスッと...。
「やっぱりブラジャーのとこがうっ血してるな。よくないんだよな、これ。
みんなほんとはノーブラがいいんだよ!」などと言いながら、腰へ。。
そして「この人はやっぱり腰が悪いね。」と言い
消毒用のカット綿で背中から腰にかけて
何度も山を描くように拭き、その都度針を刺していく。
徐々に下へ行って、パンツも半分くらい下げられ(泣)
お尻も尾骶骨の部分も刺されてようやく終わった。
そして最後に「あ、足。やってなかったな。」と言われて、もう一度座り、
手と同じように台の上に両足をのせた。福田先生は私の足を触ると
「これ、全然温かくないよ!」確かに指先は冷たいんだけど
いま外歩いてきたばっかりだし...と思っていると
「感覚麻痺しちゃってるのかもしれないけど、もっと温めないとダメ!
靴下は2枚重ねで履くように!!」と言われてしまった。。
そして、「あとは食事だね。食事というのは自然食!」と言われた。
「玄米もそうだけど、最近私は麦がいちばんいいと思うようになった。
それに関してはまだ発表してないけど、いま書いてる最中だから
本になったら読んでください。」と言われた。
そして思い出したように「そうだ、薬は?なんか飲んでるんだっけ?」と言うので
「いえ、薬は飲んでません。試験切除で取って以外は何もしていないので。」
と言うと「うん。それでよろしい!薬はダメだよ!!」と言われた。
「何しろ体を温めること。それと食事と運動。
それさえ気をつけていれば大丈夫。治療は週1回だっけ?うん、それでいい。
あとは自分で必ず治ると思うこと、信じること。そしたら治るよ!」と一気に話し、
最後に立ち上がってから、「どぉ?気分は。」と言われて
「はい、さっぱりした気がします。」と言うと
「そうでしょ。そのさっぱりが大事なんだな。じゃ、頑張って!!」と言ってくれた。
ふーっ。
やっと終わって、担当の鍼灸の先生と別の部屋へ。
「お疲れさまでした。」と先生が言い、「やっぱり痛かったですか?」と言うので
「あ~、でも我慢できない痛さじゃないですけど。」と言うと
「ですよね。○○さんなら我慢できると思いました。」「・・・・。」
そしていつものように横になり
「とりあえず足を温めましょうか。」と(たぶん、遠赤外線の)ライトを当ててくれ
少し食事の話など、今後の対策を二人で整理しながら話した。
そういえば、福田先生が薬以外に『良くないもの』と指摘したものに
「PCとケータイ、これから出る電磁波は体にかなり負担をかけている」
と言っていたのを思い出し、「仕事...。PC使ってるから...。」と私が言うと、
「そんなの、そんなこと言ったらここにいる人みんな同じじゃないですか!」と
先生は言ってくれた。と言って、辞めれないんだけど...。
「それ以外で、食事のこととか、運動とか考えればいいんですよ。」と言う。
そして、いつもお灸をしてくれている左鎖骨の下の部分が
自分の思っていたところと、福田先生の指摘したところが
ちょっとズレていたのが気になったらしく「その部分だけ。」
と言って、お灸もしてくれた。先生もかなり福田先生に遣り込められていたので
「あんなのぜーったい、みんな見えてないですよ!」と言い、
お灸の準備をする間、「くそー、絶対リンパ球(数)上げてやる!!」
と自分に言い聞かせるように言っていた。(笑)
先生もけっこう負けず嫌いなのがわかって可笑しかった。
そして、そのぶん、私も頑張らないとね。。
と、今回の治療はこんな感じでした。
私も忘れてることがないか、何度も読み返しながら、その都度
思い出したことを足しながら書いたので、またもこんなに長くなってしまいました。
福田先生のパワーはほんとうに凄かったです!
受付のお母さんも「力を全てその患者さんに注ごうとしちゃうから
治療が終わったあとは大変なのよ。疲れちゃって。」と治療が始まる前に
おっしゃってましたが、貴重な体験をさせていただき
ほんとに感謝の気持ちでいっぱいです。
あとは、自分で出来ることをひとつひとつ実行していこうと思っています。
食事のことも、勉強しなおしだな~。。
仕事と両立出来るかな~というのが本音。
でも、これをやらなければまた同じことの繰り返しになることは目に見えています。
この週末は、考えてばかりいました。鍼灸の先生とも話したとおり
「まずはひとつひとつ、出来ることから始めてみましょう。」
治療を1年も続けてきて、今さらこれ?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが(←うちのだんなもこのタイプ)
少なくとも、去年の私と今の私では明らかに違うことを、この私自身が感じているのです。
思うに、今までの私は、あまりにも自分の体を粗末に扱っていたのだと思います。
もう少し意識して手をかけてあげていれば...。と思うことばかり。
たとえば、手荒れにしても、風邪の治り方にしても。
ひどくなる前に予防する。こんな当たり前のことが出来ていなかった気がします。
自分の体のことなのにね。。
そう反省しつつ、
みなさんも、どうかご自愛くださいますよう、願うばかりです。
by necomal
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12月6日のつづき・・・
http://yycattery.exblog.jp/2480885/
2006-01-15T13:41:00+09:00
2016-10-09T17:10:30+09:00
2006-01-15T13:41:17+09:00
yy_cattery
病気のこと
久しぶりにこのタイトルです。
前回
「つづきは次回ということで...。」なんて書きながら
とうとう年を越して、今日はもう小正月。
本来は小豆粥なんでしょうが、鏡開きでお汁粉を作らなかったので
今日は小豆を煮ながら、久々『病気のこと』upしようと思います。
と書きながら、『小豆』をネットで調べてみたら
「最強の抗酸化物」だそうです。
昔、母が「小豆は体内のお掃除をしてくれる。」と言い
「昔の人は、毎月お一日(ついたち)と15日には小豆食べてたって言うけど
そうゆうことだったのね。」と言ってたことがありますが、
なるほど、そうゆう意味だったんですね。
単純な私...。
今朝はさっそく小豆粥にしました。(笑)
小豆の量はこんなもんでいいのかしら...。
前回は漢方薬を飲み始めた、というところで終わりにしてしまったが
半年経って、生薬を煎じるところから市販薬に切り替わったところで
そちらに通うのはやめてしまった。
なので、今は漢方薬は飲んでいない。
2004年11月に(試験切除ではあるが)手術を受け、
翌日両親が一緒に病院で先生の説明を受けて以来、
母が私に飲むようにと「アガリクス」と「プロポリス」を持ってきて、それを飲んでいた。
実はこの「アガリクス」、父が病気になったとき、
私がネットや本などで調べて勧めたもの。
廻りまわって、私のところにやってきた。(笑)
今も無くなりそうになると送ってくる。代金を支払うと言うと
「これくらいしか、してあげられることないから...。」と言い、受け取ってくれない。
「甘えていいのよ!」と母は言うが、それがだんだんと心苦しくなってきた頃
これまたネットで、あるサプリメントを見つけた。
それが昨年7月から今も飲んでいるサプリメントである。
このサプリメントに関してはまた次の機会にお話しするとして
今日は試験切除後の予備治療について書きたいと思う。
これも以前書いているが、
乳癌の術後の予備治療には
1.抗癌剤投与 2.ホルモン治療 3.放射線治療
とあって、その前に、『センチネルリンパ節生検』を受けるよう勧められた。
だが、この『センチネルリンパ節生検』で左腋下のリンパ節を切除する段階で
私は考えてしまった。「リンパ節を取る?」そんなことして大丈夫なのだろうか?
リンパって、外部からのウィルスなどに感染しないための
体の大切な部分のはずなのに
取ってしまったら、他の病気になったりしないんだろうか?
病院からもらった
「乳ガンとインフォームド・コンセント~適切な治療を受けるために~」
という小冊子にも
◆腋窩リンパ節を取ると感染に対する抵抗力が低下します。
手や指先にけがややけどをしないようにしてください。
とある。ほら~っ!やっぱり~...。
当事私は、主婦湿疹という慢性の手荒れに長いこと悩まされていて
こんな手荒れじゃ、尚更感染が怖い!これは良くないに決まってる。
と思ったのだ。そして、だんなもこの件に関しては賛成してくれた。
そして共済病院の先生とはひと月かけて話をした。
先生は、私の癌に対して「そのもの自体が大きくなるタイプのもので、
早期である(約1.6cm)し、今回癌の周りも広く取ったが、
そこに癌は発見されなかった。」と言った。
ならば、転移も考えられないのでは?というのが私の考えであった。
だって、治療のためでなく、検査のためだというのだ。
そして、私は「リンパって再生するものなんですか?」ありえないと思いながら
聞いてしまった。するとやはり「そういうものではない。」という。
取ったらそれっきり。何でもなかったとしても「よかった。」なんて喜べない。
検査のためにそれっきり体内からなくなっちゃうなんて納得できない。
結局、『センチネルリンパ節生検』はやらないことにして、
担当医は私の場合、1.の「抗癌剤投与」までは必要ないと考えていて
次に3.の「放射線治療」を勧めた。
温存療法を選んだ人は再発をしないように大半の人が受けるというものだ。
これに関しても私は本屋さんめぐりをしていろいろ調べてみた。
そのとき買った本↓
再発・転移の話をしよう
近藤 誠 イデアフォー / 三省堂
この本を読むと「私はほんとうに癌だったのな?」と考えさせられてしまう。
『イデアフォー』は主に乳がん体験者からなる医療市民団体。
そちらの会員の方と放射線科医の近藤誠氏の体験談なども
対談形式で載っている。
そう、そして、ここで私はまた考えてしまったのだ。
放射線の単位は「グレイ」と言うらしい。
そしてその放射線を1日2グレイずつ、週5日×6週間、計60グレイを
左乳房に照射する、と私は担当医から聞いていた。
↑の本によると、乳癌の場合、ふつう50グレイとある。
放射線をかけた直後は乳房が硬くなるらしいが、だんだん元に戻るという。
しかし、さらに10グレイの追加照射(ブースト照射)をすると
初めは硬くなかった乳房も、照射が終わったあとから硬くなることがあるという。
私の場合、初めから60グレイと言われた。これはどうなのか?
そしてもうひとつ、私には気にかかることがあった。
担当医は、だんなにも両親にも切除後の予備治療の説明をするときに
「○○さんはまだ若いし、今後お子さんを持つということも考えて
予備治療をお勧めします。」と言った。
しかし、放射線をかけた乳房から授乳は出来ないという事実を
この本で知ったのだ。(出来ないというよりも、ほとんどお乳が出ないそうです。)
またしても、???
担当医の話を聞いたとき、両親は喜んだ。
が、だんなは「どうせ今まで出来なかったんだから、そんなのはどーでもいい。」
と言った。
私も今さら子供はいいかな~と思っていたのだが
実際にお乳が出なくなるというのはショックだった。
今後、子供を産むことは、たぶん、ない。と思う。
でも、いざとなると人間というのはイサギワルイのだな、と思った。
そして私の通う共済病院には、この放射線治療のための設備が整っていない。
ので、他の病院を紹介してくれることになっていたのだが、
これが功を奏したというべきか、この治療を選択するまでに
時間があったため(担当医は切除後2ヶ月以内に受けるように言った。)
私は、いろいろと調べたり考えたりしてしまったのだ。
もしも共済病院の設備が整っていたら、何も考えずにすぐに受けていたかもしれない。
そう考えると、これもまた私の人生における分岐点だったのだな~と思える。
ちょうどその頃、
「免疫を高める」と病気は必ず治る
安保 徹 福田 稔 / マキノ出版
私はこの本から、今も『通院日誌』で書いている病院を探しあて
電話をして予約を取っていた。年末だったので、
診察は年が明けてから、ということになっていたのだが...。
放射線は受けないと決め、2004年12月27日、
その年最後の診察にはだんなと二人で行った。
担当医は「やりたい、やりたくないとか感情論で言わないで。」と言った。
私は譲らなかった。するとだんなに「ご主人はほんとにそれでいいんですか?」と聞く。
前日まで、「それでいいよ。」と私の選択に賛成してくれていただんなだが
いざ先生を目の前にして、そのように言われると、ひるんでしまった。
そして、「まぁ、まだ時間はあるし、年明けてからで返事はいいです。」
と担当医に言われ、その場はそういうことになってしまった。。
年内にすっきりさせたかったのに...。
帰りの車の中で、私の考えに理解してくれていると思っていただんなから
「あんたはあんたの考えで、そーゆー治療法を選んだかもしれないけど
でも、それがほんとに正しいのかな?もしもそれが正しいなら、もっと世間で
認められててもいいんじゃないか!そんな自分の体で実験するみたいなことっ!!...。」
と叱られてしまった。。
これによって私は2~3日落ち込んだ。だんなの言うことももっともだ。
(私は今でもこの選択に間違いはなかったと信じているが、結果はあと4年経って
私が生存しているか、もしくは再発などしていないかにかかっている。)
まさに実験なのだ。私は自分の体で実験をしようとしていたのだ。
ごはんを食べていても、TVを観ていても、だんなの視線を感じる。
「仕方ない。やっぱり放射線うけるしかないかな~。。」
と言うと、「いいよ、もう!あんたの好きにして!!」と思いもよらない言葉が返ってきた。
「ほんと?!」たぶんこの2~3日の落ち込みが嘘のように
私の目は自分でもわかるくらいキラキラし、笑顔になっていたと思う。
「でも、年明けの病院は一緒に行かないよ!どうも先生にあー言われると
俺、弱いからダメだ!!」と言った。このときほどだんなに感謝したことはない。
この人を選んだ私の選択も間違いではなかった、と思ったのだった。(笑)
そうして年明け初の診察日、2005年1月14日(1年前の昨日だ)
私は覚悟を決めて、担当医にそのことを告げた。
ちなみに2.の「ホルモン治療」は切除のときに受けた『ホルモンレセプター』の結果は
陽性で、ホルモン療法も可能であったが
こちらも子宮癌になるかもしれないという副作用が心配されている。
この点を考えて、私の中では排除されていた。
そして、全ての『追加補助療法(予備治療)』を私は拒否したのである。
担当医は、最終的にはどれかひとつは受けるだろうと考えていたらしく
私の選択に焦っていた。「ほんとにいいんですか?命に関わることなんですよ!!」
と力強く言われたときには、だんなではないが私もひるみそうになった。
しかし、自分の選択を信じた。担当医は最後まで「俺もしつこいかな?」と言いながら
「ほんとにいいんですね?」と確認するように私に言った。
そして「こうゆう患者さんは珍しいから...。」と言って、一筆書かされた。
年配の方はもう治療なんてしなくても...というのはあっても
私ぐらいの年齢で術後の治療をしない人は珍しいんだそうだ。
「もしも再発するようなことがあっても、私、先生のせいになんてしませんから。」
そう言って、自信を持って自分の名前を書いた。
こうして、私の「今」がある。(今の「私」がいる...?)
『自律神経免疫療法』の安保徹先生も福田稔先生も
「癌のいわゆる三大治療(手術、抗ガン剤、放射線治療)は受けないように」
と言っています。私が通っているクリニックの院長も初診(2005年1月7日)のとき
「いま放射線を受けるかで悩んでいる。」と言うと
「うちとしては、やって欲しくないな~。」とおっしゃってました。
こんな治療法もあるのです。
おかげで私は仕事を辞めることも休むこともなく、
薬などの副作用もないまま、ふつうに生活しています。
昨年は半分あきらめかけていた野球観戦も
9月には札幌ドームまで遠征するほど(笑)
血液検査の結果はまだまだイマイチですが、
結婚以来悩まされた「主婦湿疹」も
体を温めることによって、すっかりよくなりました。
そして何より、体重が増えました!
漢方薬やらサプリメントやら、あれこれ挑戦してみたので
どれがほんとに効いてるのか定かではありませんが(笑)
これからも良いと言われるもの、自分が納得して出来ることを
続けていきたいと思っています。
最後になりましたが、これはあくまで私の体験談であり、
全ての方に効く療法であるかは、私には断言できません。
なぜなら、私もまだ実験段階の身であるからです。
ですから、この療法を私はみなさんにお勧めしようとは思いません。
このblogを通して、興味を持ってくださった方がいらした場合、
私の知りうる情報は出来る限り提供させていただきたいとは思っています。
「病気は自分で治せるのだ!」
という自分のこころを信じて...。
久しぶりに『病気のこと』を書いたら、長くなってしまいました。
おつきあいいただいた方、ありがとうございました。
朝、だんなが出かけてから
あれこれやりながら書いていたら、こんな時間になってしまいました。
お汁粉(ぜんざい?)も出来ちゃった♪
さ、食べよ~~っと^^v
by necomal
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行ってまいりました。
http://yycattery.exblog.jp/2103865/
2005-12-06T17:34:30+09:00
2016-10-09T17:10:30+09:00
2005-12-06T17:34:30+09:00
yy_cattery
病気のこと
結局、仕事に出るのと大して変わらない時間になってしまいましたが
本日は病院で2番をとることが出来ました。(笑)
ので、これは待ってる間に読み終わっちゃうんじゃないかな?
と思われた『白石さん本』も、真ん中手前くらいで本日は終了。
途中、声を出して笑ってしまいそうになるくらい。
白石さんと、東京農工大の学生さんとのやりとりは、微笑ましいものばかり。。
考えさせられる話あり。頭は柔らかく使いたいものだと反省させられました。
病院のほうはというと...
今回はちょうど1年経ったのもあって、いろいろ覚悟して行ったのですが
ただの(?)診察のみで終わり...。血液検査さえなく、気が抜けました。
実は、前回の日記で書いた担当医は4月に他の病院へと移ってしまい
今の私の担当医は今まで話してきた先生とは違う方です。
この病院に来て3人目の担当医となったこの先生は関西弁の女医さんで、
たぶん、私とそう歳は変わらない。(と前担当医も言っていた。)
最初は執刀医として、その後あれこれ相談してきた先生が代わるというのは
正直とても不安でした。
でも4月、7月、9月と回を重ねるうちにだんだんと先生のほうも慣れてきた様子。
何しろ、自分で初めから診てきた患者ではないので
最初は向こうも手探り状態のようでした。今も、かな?(笑)
まず前の先生と決定的に違うのは、毎回触診があるということ。
でも女医さんなので、こちらも抵抗は小さいです。(笑)
ただ私は病院からみたら、優等生の患者ではないので
先生も様子を伺いながら診察する。...といったカンジ。
今日も、次回CTと骨シンチグラムの検査を受けるかという話になったとき
(実は前回のとき、これは受けても受けなくても大して変わらない...。というようなことを
言われていたので)私が不審そうな顔をしていると
「あれ?検査は受けていいんだよね?!」と覗き込むように聞いてきた...。
去年の今頃...
私は時間の許す限り本屋さんで本を探しているか
家ではPCの前に座り、ネットでありとあらゆる情報を手に入れようと必死だった。
どの選択が自分にとって良い治療なのか。
まさに宝探しのようにあれこれ調べていた。
「なるべくなら、もう手術は受けたくない。」
たとえ、『センチネルリンパ節生検』のような簡単なものでも...。
そんなとき、だんなが「漢方とかどうなの?」と言い出した。
私は結婚をして半年くらいしてからずっと、手荒れに悩まされ続けてきた。
ちょうど私の従妹でまったく同じような症状の子がいて、
漢方薬局に行ってきたという話をしていたのをだんなが思い出したのだ。
それをきっかけに、私は従妹に連絡を取り、そしてその薬局の情報を手に入れた。
雑誌にも紹介され、HPもあるとのこと。
さっそくそのHPにjumpしてみると...。
なんと、この『エキサイト:ブログ』だったのである。
何も知らず、というか当時blogというものを知らない私にとって、
左端にあるものが何だかわからず、手当たり次第クリックしていくと
コメント欄のところでいきなりjumpしたのが、
t-fortunati さんの『うちの食卓 Non solo italiano』であり
その後『猫』で検索するうちに辿り着いたのが、大好きなdearcat さんの
『nikkikki』だったのである。
(ちょっと横道にそれましたが...。)
そうして、まずはその漢方薬局に予約を入れた。
それが、昨年のX'mas(12月25日)である。
土曜日ということもあって、街はイルミネーションとたくさんの人たちですごかった。
そんな中、私は迷いながらその薬局を探した。
そのとき初めて私は方向音痴になった。
たいていのところは初めてでも何とか辿り着ける。
地図を見るなり、電話でも聴いたのだから迷うはずなんてない!!...はず。
なのに辿り着けない。予約の7時を少し過ぎてようやくお店の扉を開けると
中国人の先生が待っていてくれた。
こちらの先生もまず脈をとる。
そのときの先生の手の柔らかかったこと。温かかったこと。
今でもしっかり覚えている。
病名を告白すると、片言の日本語で
「だいじょうぶ。ぜったい、なおるから!!」と言ってくれたときは、
またまた涙が出た。(堪えたけど...。)
あのときの私にとって、これほど救いに思える言葉はなかった。
寒い中歩き回って約束の時間に遅れてしまった自分、
こんな病気になってしまった自分、すべて許してもらえるような
優しい言葉だった。
そうして私は、とりあえずその日から生薬を煎じて飲むことになった。
そろそろ時間いっぱいになってしまいました。
寄り道しすぎて、書くべきこと書いてない気がしますが...(スミマセン;)
つづきは次回ということで...。
by necomal
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肩こり
http://yycattery.exblog.jp/1991413/
2005-11-26T14:12:00+09:00
2016-11-25T00:11:41+09:00
2005-11-26T14:12:16+09:00
yy_cattery
通院日誌
昨日は病院の日。
11月もとうとう最終週となった。
今回は、すっかり脈が安定していて鍼灸の先生も納得顔。
「以前とは別人のよう...。こんなにも変わるかなってかんじですね。」
と言われた。
最近忙しさのせいか肩こりがひどいので、そのことを言うと
治療の最後にマッサージをしてくれた。
寝不足気味だったので、寝ちゃいそうだった。zzz
もみ疲れ(?)もあるのか、今朝は二度寝しました。
そういえば昨日の『成長ホルモン』の話で書き忘れましたが、
この成長ホルモンがもっとも活発になるのは夜11時から明け方3時の間。
なんだそうで、この時間帯に眠ってないとダメだそうです。
睡眠は3時間周期なので、6時間は寝たほうがいいらしい。
みなさん、ちゃんと睡眠とってますか? 翌日の11月25日木曜日。
実家の両親が先生の話も聞きたいから一緒に行くと言うので、
病院のある駅の改札で待ち合わせをした。
けれど、私の乗る電車の同じ車両に両親がいて、
駅はそこからたったひとつだけれど3人で並んで座って行った。
思ったよりも元気そうで安心したと母が言っていた。
病院に着くといつものように待合室には人がいっぱい。
看護婦さんに呼ばれ、まずは消毒のために処置室へ...。
前日の点滴のあと、家に戻ってまた具合が悪くなるようなら
「今度は入院の覚悟で来て下さい。」と言われていたので
先生も心配してくれていたようだった。
その日も顔をあわせたら「大丈夫でした?」と聞かれた。
左胸を固定していたものを外し、消毒をして「両親が来ている。」と言うと
部屋を変えて、説明をしてくれた。
手術前のハプニングをしきりに謝っていた。
自分の事じゃなかったら、「そんな病院で大丈夫?」と私も言ったかもしれない。
でも、なんだろう?なんでかな?
ふつう、医者って謝ったりしないものだと思っていたので
逆に私はこの先生を信頼してしまったのかもしれない。
けっきょく医者と患者の関係って、信頼関係が一番だと思うから...。
今後の話としては、予備治療に関してとなった。
乳癌の場合、抗癌剤投与、ホルモン治療、放射線治療とあり
私の場合、切除前に癌であるとわかったので、癌そのものとその周りを
ふつうより大きめに取ってしまったので、「あとは放射線治療だけで良いのでは」
と言うことだった。ただその前に他に転移がないか検査の必要がある。
前回ちょこっとだけ書いた『センチネルリンパ節生検』について
両親にも説明してくれた。これは私の場合左胸だったので
左の腋の下にあるリンパ節に転移があるかないかのための検査。
ここに転移が認められると、肝臓やら他の器官に転移の可能性が高くなると言う。
これをまず勧められた。
その日はまだ『試験切除』を終えたばかりなので、ゆっくり考えていきましょう。
ということだった。両親も先生の話を聞いて安心した様子。
とくに父は自分も悪性リンパ腫による脳腫瘍で(脳の場合、癌とは言わないらしい。)
放射線治療経験者なので、そこのときだけはじっくり質問していた。
両親は遺伝に関して気にしていたようだが、先生は脳腫瘍とは全然違うものだから
と言っていた。むしろ元気な父を見て驚いていたように見える。
母は(私もだが)原因が気になっていたようだが、
これも現在では不明とのこと。最初に私とだんなに説明してくれたように
「高齢まで子供を産んでいないからとか、仕事をしているからとか、
いろいろ言われているが、それが確かではない。」と言っていた。
そして、「来週火曜にもう一度傷口を見せてください。」と言われ
その日は終わった。
両親は帰りにちょっとだけ家に寄り、「疲れているだろうから」とすぐに帰って行った。
翌日は出勤の予定でいたが、
朝起きても痛みがとれずやはり休むことにした。
いちど起きたときまだ早かったので薬を飲んで寝てしまったら、
気がつくと始業を10分過ぎていた。慌てて電話するとボスが
「無理して出てきて、途中で具合悪くなってんじゃないかと思ったよ~。」と言ってくれた。
その日は金曜だったので、週末もゆっくりして月曜から出勤した。
「やっぱり癌でした。」と、あの日の話をするとボスは驚き、やはり
「病院、紹介するよ!!」と言ってくれた。が、私も仕事しながら通えるという点で
ゆずれなかった。し、いまさら変える気もなかった。
そして、職場の『~長』と呼ばれているそこでいちばん偉い人にも自分から直接話した。
「今後の治療によっては、ご迷惑おかけすることになるかも...。」と言うと
~長も「体がいちばんですから、まずはしっかり治して...。」と言ってくれた。
これで仕事に関しての心配はしなくて良くなったと思うとホッとした。
本当に私は恵まれていたと思う。
by necomal]]>
11月19日のつづき・・・
http://yycattery.exblog.jp/1956018/
2005-11-23T10:40:38+09:00
2016-10-09T17:10:30+09:00
2005-11-23T10:40:39+09:00
yy_cattery
病気のこと
明日は書けそうもないので
1年前の11月24日のことを、今日書いておこうと思う。
(前もっておことわりしておきますが、今日はかなり長くなりそうです。
ただの自己満足的な日記であるため、気分を害されるような方もいらっしゃるかも
しれません。勝手な言い分ではありますが、そういった方々には、今日は
この先はやめていただいたほうがいいかもしれません。すみません。。)
1年前の今日も祝日で休みだったはずなのに
『試験切除』を翌日に控えて、私は何を思っていたのか思い出せない。
そして当日。
私はこんな日も仕事に出て、午前中だけで早退した。
あの日は水曜日でだんなが休みだったか、もしくは朝だけ出勤し
私の病院につきあうと言って早あがりしてくれたんだったか
結構覚えていないもんだ...。
途中、だんなの車に拾ってもらい、病院へ。
私の前にも何人か手術を受ける人がいるので
いちおう14時の予約だが、遅れる場合もあると言われていた。
外科受付に着くと女性がひとりいた。
その人が呼ばれて、入れ替わりに手術を終えた人が戻ってくる。
手術と言っても30分くらいの簡単なものだと聞いていたが
その人も普通に帰っていく。つきそいもいないらしい。
私も手術に対して、特に怖いとかそういう気持ちもなかったので
初めはひとりで来るつもりだった。が、だんなは行くと言ってゆずらなかった。
でも、後になってついてきてもらって良かった。と思うことになるのだ。
呼ばれたのは14時半をまわっていたか、そのくらい。
看護婦さんが迎えに来てくれて、エレベーターに乗って手術室のある階へ。
入り口で、まずサンダルに履き替え、
上だけ手術用に用意された服に着替えるように言われ、
髪の毛は邪魔にならないようキャップをかぶった。
準備が出来て外に出ると看護婦さんに連れられ案内された。
少し進むと、部屋(室)が何個もあり驚いた。けっこう新しそう。
私が手術を受けるその部屋も、それは立派なつくりだ。
こんな部屋が何個もあるんだな~と感心(?)しているうちに
部屋の真ん中にあるベッド(手術台)に勧められるまま横になり、あとはされるがまま。
色んな機械が周りにあって、それぞれ準備されていく。
寝ながら様子を伺っていると、看護婦さんではなく
私の担当医でもない男性がひとり入ってきて、しばらくいるので
「手術はいつもの先生じゃないのかな?」と思っていると
手術用の格好をしてマスクをかけながら担当医が現れた。
「じゃあ、○○さん、これから麻酔をして始めますね~。」
と簡単に挨拶をして、私の視界から消え、私も「いよいよだぁ。」と覚悟していたら
なにやら変な感じ...。さっきまでとは違う雰囲気。そのうち、担当医の
「えっ?!ちょっ、ちょっと待って!!そんなの僕聞いてないよ!!!」と叫ぶ(?)声。
看護婦さんたちも慌しく動き出し、それとは反対に用意された機械の音が
一つひとつ消え静かになっていく。
スイッチが落とされ、体のあちこちにつけられていた機械の線やチューブなどが
あれよあれよという間に外されていった。
「へ?何なに??手術しないでいいの?!」
一瞬のうちに私は「実は癌じゃなかったんだったりして?」と考えた。
こういうとき、人間て自分に都合のいいように考えるもんなんだなと改めて思い知らされた。
先生が私の前に戻ってきて、まだ訳もわからず寝ている私に
手術台に座るように言い、話し始めた。
それによると、私が『細胞診』の結果を聞きに来たときは早すぎたために
書面で届いたものではなく、先生が電話で確認したものだったということ。
今回の試験切除は、癌であることが50%の確率であるために
それを見極めるために行われるはずのものであったが、今カルテを確かめたら、
その後届いた書面による結果には、癌である確率が99%となっている。
ステージⅤと言うのである...。
コントで、癌と告知された人が「ガ~ン!!」というのがあるが、まさにそんな感じ。
自分の病気をギャグにするつもりはないが、ほんとにそんな風に思ったのだ。
いや、そんな風にギャグにでもしてしまいたかったのかもしれない。
頭の中は、真っ白というか空白?なにをどうすればいいのか?
「じゃあ、今日は切らないんですか?」と聞いたんだったか、先生は
「癌となれば、こんな局部麻酔で簡単な手術ではなく、きちんと入院して手術になる。」
と言う。そして「前にも説明したように、センチネルリンパ節生検やらその他いろいろと
やらなければいけないことがあり、今日切ってまた手術というよりは
今日は切らずに改めて手術をしたほうがいいのでは。」ということなのだ。
私は何日もかけて考え、ようやく今日を決意したというのに、ここでふりだしに戻され
また、それをこの場で考え直さなければいけないのか。
覚悟してついてきてくれただんなにも切らずに戻ってなんと言えばいいのか...。
「え~っと、外来受付で待ってる主人と相談してもいいですか?」と言うと
「じゃ、こちらに来てもらいましょう。」ということになり、
しばらくして同じようにキャップをかぶらされただんなが手術室に入ってきた。
だんなは真剣な顔をしていたが、私はなんだか可笑しくなってしまった。
「他にお話しするような場所がなくてすみません。」と先生がだんなに言い、
とりあえず、と言って手術台の私の隣に座らされ、
床に着かない足を二人でぶらぶらさせているのを思ったら可笑しくてしかたなかった。
先生はさっきと同じことをだんなに説明している。
もう私の耳にはそのことは入ってこなかった。
「どーしようかなぁ。」って、それだけ考えていた。
だんなは先生とは反対に、「どうせ切るなら早いほうがいい。せっかく来たんだから
今日切っちゃえば。」と言い、結局試験切除は当初の予定どおり
(...とは、少し違ってしまったけれど)行われた。
この部屋に入ってきたときのようにあれこれ準備され、機械の音がし出した。
横になると看護婦さんのひとりが「なんだかバタバタしちゃってすみませんね。
こういうこととか、他にも不満に思うことがあったら、遠慮なく言ってくださいね。」と声を
かけてくれた。涙が出てきたが、泣いていると思われたくなくて拭うことが出来なかった。
すると看護婦さんが、黙ったままティッシュを数枚顔の横に置いてくれた。
手術室の中は今井美樹の曲が流れていた。
始まったのは15時15分を過ぎていて、腕につけられた血圧を計測する機械が
10分ごとに私の血圧を測った。「途中我慢しないで痛かったら言ってください。」
と先生が言うので私は正直に痛いと言い、何度も麻酔を足してもらった。
左側は布が被されてあり、右側の棚のガラスに先生と看護婦さんの動きが映っていた。
それを見れるほど私はけっこう冷静だった。
そして今井美樹の曲は、その後嫌いになりそうだなぁとか思ったりした。
血圧を測る機械が6回を超えて、ようやく「はい、とりあえず切除は終わりました。
あとは縫合に入ります。」と先生が言い、その後は痛いと言っても麻酔を足してはくれず
ただひたすら耐えた。今回は片手しか使えないので足をつねったりして痛みを堪えた。
傷口が開かないよう左胸は固定されていた。
先生が「お疲れ様でした。今日はこれで終わりです。」と言い、
時計を見ると16時40分を回っていた。手術台に座るように起き上がると、先生が
「使用した麻酔は...ml。出血は...cc。」などと説明してくれていたが
あまり頭に入ってこなかった。私は手術台を降りようとしたが、ふらついてしまった。
先生が「大丈夫?」と聞き、私は麻酔でヘロヘロになった頭で「大丈夫です。」と答えた。
でもそれは気力だけで、実際には思うように歩けないほどだった。
何とか気力で上の着替えを済ませると、看護婦さんが車椅子を取ってくるので
ここで待つようにと言い、しばらくして私は看護婦さんに車椅子を押されながら
だんなの待つ外科受付に戻った。
だんなと自分の番を待っているとき、普通に帰って行った人を思い出し、
なんだか車椅子の自分が情けなく感じられた。
外来受付で呼ばれるのを待っていたら、先生が現れて「大丈夫ですか?」とまた聞かれた。
車椅子なんかに乗ってるのが恥ずかしくて「大丈夫!だいじょぶです。」と言い、
先生が「じゃ、明日、朝消毒に来て下さいね。」と言って終わり。と思ったら、
受付から会計に移動している途中で、気持ちが悪くなってきた。
支払いをだんなが済ませると吐き気がしてきて、結局外科受付にまた戻り、
先生を呼んでもらった。外来のほうはもう閉まってしまう時間だったので
救急のほうで点滴をうけることになった。
その頃には辺りは真っ暗になっていて、点滴に1時間くらいかかると言うので
その間にだんなは薬を取りに行き、一度家に戻って猫たちにごはんをあげて
実家にも電話を入れてくれた。私一人では何も出来なかった。
ほんとにだんなについてきてもらって良かったと思った。
そうして病院を出たのは、19時をまわっていた。
昼から何も食べていなくて、だんなはおなかが空いたと言い、
だからと言って外食は無理だし、家でうどんにしようということになり、
帰る途中でスーパーに寄り、私は車の中で待ち、
だんなが私に言われたように買い物をして、家に着くと
『玉子とじうどん』を作ってくれた。
作ってもらっている間に、私は職場に電話をし、残業で残っているボスになんとか
間に合い、翌日の遅刻を欠勤に変えてもらった。
実家の両親が翌日の消毒には付き合うと言っていたとだんなが言うので、
休みをとることにしたのだ。そのあとで、実家に電話をし、翌日の待ち合わせなどした。
こんなふうにして、私の『試験切除』は終わった。
たぶん、こんなふうに自分の病気を告知された人は稀なんじゃないかと思う。
でもここからが、本当の意味でこの病気の始まりとなるのだった。
今日はだんなが出かけてから書きつづけているが、
それでもこんな時間になってしまった。。
疲れてしまいましたので、つづきはまたこの次に...。
by necomal
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